2012
2011年の震災の日、多くのものそして人が、のこるかのこらないかという境目に立たされ、それぞれの命の道を進んだ。以前より「ふくしまの木」を扱っていた自身も、原子力発電所の事故後、身近な素材である木や花、植物、それらを包み込む大地も、全てのものごとが常に紙一重に存在していることを強烈に感じた。 いつしか崩れて土にかえる樹皮、製材の過程で必要とされなくなった木っ端、毎日多くのものが生まれては消えていく中で、ほんのひとにぎりのものがのこっていく。そんな時間のなかでの実在と縫うことの関わりについて模索していきたい。