メディア表現学会第9回『「畏敬の念」研究の現在——神秘を感じる心のメカニズムを科学する』欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网
1. はじめに
2024年12月10日、IAMAS(欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网)において「メディア表現学研究会」第9回が開催されました。今回のテーマは「『畏敬の念』研究の現在——神秘を感じる心のメカニズムを科学する」であり、名古屋大学大学院情報学研究科の高野了太先生をゲストにお迎えしました。高野先生は、心理学的実験、脳機能イメージング、生理反応計測といった横断的な手法を駆使し、畏敬の念の心理的?生理的なメカニズムやその機能の解明に取り組む研究者です。
畏敬の念は、「広大さ」と「ものの見方の変容」を中核とする感情であり、自然の壮大な景色や宇宙の広がり、美的な芸術作品に触れた際に生じる感情として知られています。高野先生は、脳活動、生理的メカニズム、言語的表現の3つのレンズから畏敬の念を総合的に捉える研究手法を提示し、これらの観点から具体的な実験事例が紹介されました。質疑応答セッションでは、畏敬の念の誘発刺激の選定基準や評価方法、メディア表現との接続の可能性、人間にとっての役割について議論がなされました。
当日は平日のお昼過ぎに、現地会場とオンラインの両方で開催され、約50名の方々にご参加いただきました。
*畏敬の念は、研究においてAweと表記されます。本欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网では、畏敬の念で統一します。
2. 開催趣旨
最初に、モデレーターを務めました栗原より、簡単な自己紹介と開催に至った経緯の説明を行いました。私は2024年4月より博士後期課程に入学しました。研究テーマは、「畏敬の念を引き出すメディア体験とその効果の自律的活用に関する研究」です。畏敬の念という言葉は、聞いたことがあっても、なかなかその研究上の定義については知られていないのではないでしょうか。最初に、参加者の方々に「『畏敬の念』について、どの程度ご存じですか。」という質問をしてみました。約80%の参加者の方々にとって、「畏敬の念に関する研究」についてははじめてお聞きになるという状況であることがわかりました。
私は、このテーマを研究する中で高野先生の論文と出会いました。横断的な手法で畏敬の念を研究されており、いつかお話を伺ってみたいと思っていました。そのような中、4月よりIAMASから比較的近い名古屋大学に着任されたということを知り、この度の研究会での話題提供のご講演をお願いするに至りました。
3. 講演:「畏敬の念」研究の現在
3-1. 高野先生の自己紹介
高野先生の専門は、心理学、社会心理学、認知神経科学であり、実験的手法を用いながら「人間が大きな出来事をどのように乗り越えていくか」という問いにアプローチしています。これには、戦争や紛争、大地震や津波などの自然災害のほか、科学の大発見やAIの急速な進化、生命の誕生といった「人間の理解を超えた出来事」が含まれます。このような現象に直面した際、人間がどのようにその出来事を受け入れ、乗り越えていくかを明らかにしようとするのが研究の軸となっています。その中でも、高野先生が注目してきたのが畏敬の念です。大学院時代から現在に至るまで一貫して畏敬の念が人の価値観や行動、心理的な変化にどのような影響を与えるのかを探求しています。
3-2. 畏敬の念とは
高野先生は、畏敬の念の事例の一つとして、NASAの探査機ボイジャー1号が撮影した「ペール?ブルー?ドット(Pale Blue Dot)」の写真を提示しました。この写真には、広大な宇宙空間の中に地球が1ピクセル程度の小さな点として映し出されています。人はこのような写真を目にすることで、「自己の小ささ」と「広大なスケール」を同時に感じます。これが畏敬の念を誘発する典型的な事例だと説明されました。
畏敬の念は、歴史的には、宗教学、哲学、社会学で研究がされてきました。心理学の分野での畏敬の念の研究は、カリフォルニア大学のダッカー?ケルトナー(Dacher Keltner)先生による2003年の論文が先駆けとなりました。ケルトナー先生は、それまでの哲学や宗教研究の知見をまとめ、畏敬の念の主要な要素を抽出し、心理学の観点から定義しました。彼は、畏敬の念が「広大さ」と「スキーマの変容」の2つの要素によって成り立つことを示し、これをもとに実験的な研究を行う土台を築きました。
さらに心理学における畏敬の念研究は、理論的な考察だけでなく、実証研究の蓄積も進んでいます。特に注目されるのは、創造性、利他性(自分を犠牲にしても他人の利益を望む思いや行為)、ウェルビーイングの向上に寄与するという研究成果です。
創造性の向上
畏敬の念は、それまでの考え方や世界の見方の変容を促進するため、より柔軟な思考が可能になります。例えば、VRを使った研究では、畏敬の念を経験した参加者が、マッチ棒の新しい使い方を考える思考課題で、他の条件と比べて多くのオリジナルなアイデアを生み出すことが示されました。また、日常的な畏敬の念を感じる体験を報告した日には、創造的な行動(ポエムを書く、ジョークを言うなど)が増えることも確認されています。
利他性の促進
畏敬の念は、自己の小ささを実感させ、自己中心的な考えからの解放を促します。その結果、他者への関心が高まり、利他的な行動(自分を犠牲にしても他人の利益を望む行為)が増えることが報告されています。代表的な実験では、畏敬の念を感じた参加者は、他者に対してより多くの金銭を分配し独り占めしなくなる傾向があることが示されています。また、ユーカリの巨木がそびえる林の中を散歩させた後の参加者は、実験者がわざと落としたペンを拾う本数が増えるという結果も得られています。
ウェルビーイングの向上
高齢者を対象とした研究では、8週間にわたり週1回の自然の中で散歩をすると自撮り(セルフィー)の表情が明るくなり、背景が多く映り込むようになるなど、精神的な健康やエゴの縮小に影響を与えることが確認されています。これにより、畏敬の念が高齢者の孤独感の軽減にもつながる可能性が示唆されています。
3-3. 研究の3つのレンズ
高野先生は、畏敬の念の体験を「脳」、「身体(生理反応)」、「言語(主観的体験の報告)」の3つのレンズから解明しようとしています。この横断的なアプローチにより、畏敬の念の包括的な理解を追究しています。それぞれから一つずつ研究事例をお話しいただきました。
脳内現象へのアプローチ
まず最初の事例として、畏敬の念を体験した際に脳内で何が起こっているのかを明らかにするため、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を活用した研究についてお話しいただきました。実験の参加者にポジティブな畏敬の念の誘発動画(美しい風景)やネガティブな畏敬の念の誘発動画(自然災害)を含む5種類の動画を視聴させ、脳活動を比較した実験です。結果から得られた示唆は、畏敬の念は「既存のスキーマを手放す」体験であり、価値観や物事の見方を変化させるきっかけとなることを脳内の現象から明らかにしました。
身体反応へのアプローチ
二つ目は、畏敬の念が興奮と落ち着きという相反する体験をもたらすことに着目し、そのメカニズムを解明することを目指した研究です。体験中の身体的な生理反応を明らかにするため、発汗(SCR)、瞳孔の変化を測定しました。実験の参加者は畏敬の念につながる動画、楽しさにつながる動画、中立的な動画を視聴し、感じた感情についてジョイスティックを操作してもらい主観的な評価も取得しています。結果から得られた示唆は、畏敬の念体験は、身体的なリズムの変化が生じる独特な体験であり、興奮と静けさの間を揺れ動く感覚を生み出す体験だと考えられます。
体験者が語る内容へのアプローチ
ここまで研究を重ねてこられて、高野先生は、畏敬の念を体験すると人は何を語るのかに関心を持ったといいます。そこで、三つ目の事例は、畏敬の念の主観的な要素を言語的に捉えるため、質問紙を持ちいたフィールド研究とオンラインのモニター(452名)を対象とした日本語版AWE-S開発研究で行った解析になります。それらの調査によって自由記述を収集し、その中の語彙を統計的手法を用いてトピックごとに分類しました。その結果、畏敬の念の体験は、共通のトピックが存在しつつも、語られるトピックが異なることが明らかになりました。畏敬の念に対する個人の語りは、体験の背景や文化的な文脈にも左右され、対象となる場所によって畏敬と畏怖の使われ方が異なることも示唆されました。
4. ディスカッション
高野先生のご講演の後、参加者の皆さまから実験手法、メディア表現との関係性、畏敬の念の機能など、様々な観点からの活発なディスカッションがありました。ここでは、全てを取り上げることはできませんが、いくつかご紹介します。
畏敬の念を誘発する刺激はどのように選ばれているか?
畏敬の念の誘発刺激に関しては、その選択の妥当性について「研究者の恣意性が強いのではないか?」との議論が展開されました。実験においては、自然の風景映像が頻繁に使用される理由は、文化を超えて普遍的な畏敬の念を感じる可能性が高いからだといいます。
また、実験室での実験で、五感による体験を客観的に測るのは難しいのか?との質問もありました。VRの使用は視覚中心の体験を拡張する手段だが、触覚や嗅覚の再現はまだ技術的な制約があるとのことです。実験室環境では触覚や嗅覚は再現が難しいため、視覚に依存しています。将来的な技術の発展により、触覚や嗅覚も含めた体験が再現可能になれば、畏敬の念の本質的な部分がより深く理解できるはずです。
畏敬の念を科学的に測定することとは?
科学的な研究手法についての質問も複数ありました。畏敬の念の研究においては、心理学をはじめとする科学的手法に則ることが、現象の客観的な理解を促進するうえで重要です。その意味では、量的研究を用いて、畏敬の念が発生したかどうかを他の実験条件との相対的な比較によって判断します。この方法では、客観的な形で評価できるのがメリットです。一方で、質的研究の観点も必要です。畏敬の念体験がどのような文脈で生まれるのか、どのように意味づけられるのかを探る取り組みが行われています。質的研究では、体験の多様性を重視し、新しい仮説の構築や既存の理論の拡張を行うことに用いられます。
メディアアートは畏敬の念を引き起こすのか?
IAMASにおいても関心の高いと思われる質問として、アート作品が畏敬の念を誘発しうるのかについても質問がありました。先行研究では、俳句や詩などの美的体験の中で畏敬の念が生まれるという研究があります。アートに関する畏敬の念の研究は多いとは言えませんが、今後の展開が期待される分野です。ただし、アート作品を誘発刺激にする場合、個人の美的感性が影響するため、実験結果にバラつきが生まれやすいという課題があるといいます。それでも、優れた誘発刺激は本質的な価値を内包しているため、作品としても成立する可能性があると高野先生は指摘しました。たとえば、クラシック音楽が持つ普遍的な情動喚起力は、心理学的な誘発刺激としても有効であると同時に、アート作品としても成立しています。こうした点から、メディアアートの作品が畏敬の念を誘発する可能性は十分考えられると思われます。
畏敬の念は人間にとってなぜあるのか?
最後に、畏敬の念という感情は、私たちにとってどのような機能を持つのかについての対話がありました。高野先生の「時計の機能」の例が象徴的であり、時計のメカニズムを理解するだけでは、その「機能(時間を知ること)」の意味が理解できません。同様に、畏敬の念もそのメカニズムだけを明らかにしても不十分だと考えられます。そこで、人間にとってどのような機能を持つのかを考える必要があります。その一つの考え方として、畏敬の念が未知の事象への意味づけを行う原動力として機能する可能性があると考えられています。具体的には、死や自然災害といった不確実な現象に直面した際、畏敬の念の感情が働くことで信念や価値観が変容し、宗教や家族といった「意味の源」を求める行動につながるかもしれません。畏敬の念の機能を考えることは、心理的な反応を超え、人間の認知的?行動的な変化の本質に迫る重要なテーマです。
5. おわりに
今回のメディア表現学研究会では、多くの発見がありました。特に印象的だった点を最後に振り返りたいと思います。
一つ目は、メディア表現作品が畏敬の念を引き出す可能性についての視点です。高野先生の講演では、自然風景や宇宙といった普遍的な刺激が畏敬の念を喚起しやすいことが示されました。これらが研究における誘発刺激として頻繁に用いられる傾向があります。これに加え、メディア表現を含むアート作品も、畏敬の念の誘発刺激として機能する可能性があることが議論されました。ディスカッションでは、アート作品も人々のスキーマを揺さぶり、感情的な変化を引き起こす可能性が指摘され、特に体験の普遍性や文化的背景の共有度が鍵になるという見解が示されました。
そこには、メディア表現に関わるIAMASの研究領域と畏敬の念研究の接続点があるのではないかと私は考えました。この議論は、メディア表現が一時的な美的体験にとどまらず、心理的な変容や価値観の転換をもたらす役割を果たすのではないかという問いにも繋がるように思えます。すでに心理学の分野では、美術体験の効果についての研究もいくつかありますが、今後の創作や研究の可能性を広げる重要な論点になると考えます。
二つ目は、領域横断的な研究の必要性です。IAMASは「領域横断」や「超学際」を掲げています。今回の研究会では、この横断的な研究の必要性を改めて実感しました。畏敬の念という感情は、心理学、認知科学、神経科学、美学、哲学、社会学、宗教学といった分野を横断するテーマです。高野先生の「脳」「生理的反応」「言語」という3つのレンズから畏敬の念を分析するアプローチは、領域横断的な視点の重要性を示唆するものでした。私がIAMASの博士後期課程で取り組んでいる「畏敬の念」に関する研究において、科学的手法と芸術的感性をともに活かせる研究を計画をしています。それは、実際に研究として取り組むことは容易ではないと想像しています。それでも、それぞれの領域での先人の取り組みに対して敬意を抱くとともに、それを大胆に乗り越えて融合する必要性を実感しました。
三つ目は、畏敬の念の効果とその社会における意味を問うことの必要性です。今回の講演で改めて印象に残ったのは、畏敬の念が個人を変えうる「感情の力」として大きな可能性を持っているという点です。高野先生は、先行研究をもとに畏敬の念が人々の創造性を高め、向社会性を促し、ウェルビーイングを向上させる効果があると言及されました。また、畏敬の念のポジティブな側面だけでなく、ネガティブな側面(例:災害や恐怖を伴う体験)についても議論がありました。恐怖や危機を通して畏敬や畏怖の念を感じた場合、その影響が精神的なダメージをもたらすか、逆に成長体験としてポジティブな影響をもたらすかは、文化や個人の性質によっても異なることが示唆されました。
この話題は、畏敬の念がどのような方向に人を変容させるかという問いを考える上で、重要な視点です。実験の中でも、VRを用いたものがありますが、この先ディバイスやコンテンツの普及とともに、仮想現実においてさまざまな体験を私たちはしていくでしょう。その中には、瞬間的な興奮や感動の域を超えた変容効果をもたらす感情体験も出てくるはずです。その際、私たちはその効果を何の目的のために用いるのか、個人を超えて社会における意味を考えるための哲学や倫理面での議論も必要ではないかと考えます。
以上の三つの気づきは、私が博士後期課程の研究テーマとして畏敬の念を扱う中で、しっかり深めていきたいと考えています。本研究会にご参加いただいた皆さまやこの欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网を読まれた皆さまにおかれましても、それぞれの専門分野との関係性が見出されましたら幸いです。
最後に、素晴らしい話題提供をしてくださった高野先生、そして本研究会の企画のきっかけをつくり、丁寧に助言をくださった小林茂先生に、心より感謝申し上げます。
本欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网よりさらに詳しい内容に関心をお持ちの方は、ぜひ映像アーカイブをご覧ください。
<参考リンク>
高野了太先生のホームページ:https://rtakanolab.github.io