岐阜おおがきビエンナーレ2023 <方法/Method> — アーティスト三輪眞弘から受け取ったもの
2023年12月7日から12月10日まで、岐阜おおがきビエンナーレ2023 <方法/Method>が行われた。これは2000年から5年間続いた芸術運動「方法主義」を再考するイベントである。
総合ディレクターの大久保美紀(IAMAS准教授)はビエンナーレで方法主義を取り上げることについて、
同時代的に野心的かつ原理的であった20年前の方法主義という取り組みを再考する意味とは、この四半世紀を今日の視点から振り返るという意味ではなく、方法的な思考の枠組み、芸術哲学や作品制作、さらにはそれが内包しうる矛盾や葛藤を通じて、今日の私たちにとっての芸術表現を抜本的に思考し直すことである。
と挨拶の中で語る。
ビエンナーレの概要文にあるように、方法主義は同時代芸術を批判し、原理や規則に因る絵画?詩?音楽を発表した。その活動は方法主義者各々の活動に加え、方法主義宣言の発表と機関誌「方法」の発行が主なものだった。機関誌は方法主義者それぞれのウエブ上作品と、ゲスト寄稿者によるテキストで構成されていた。さらに、第一回方法芸術祭(2001年3月北九州市立美術館内外)や第二回方法芸術祭(2002年4月阿佐ヶ谷ギャラリー倉庫)というweb上だけではない実世界での発表活動も行っていた。
ビエンナーレはIAMASギャラリーでの中ザワヒデキによる作品《40048枚の硬貨から成る89736円 (金額第四二番)》(2003)や三輪眞弘による《またりさま人形》(2003)などの展示と方法主義のアーカイブ展示、3日間にわたるシンポジウム、そして三輪眞弘作品の再演コンサート(会場:岐阜県美術館)で構成された。それに加えて関連企画として「IAMAS ARTIST FILE #09〈方法主義芸術〉-規則?解釈?(反)身体」が岐阜県美術館で同時期に開催され、関連イベントとして「「方法作品」の再演」も実施された。
本記事はビエンナーレのすべてを要約するようなものではない。イベントの大部分はアーカイブ映像が残っている。このイベントを追体験するためにはそちらの映像を鑑賞したほうが良い。ここでは筆者の関心を引いた部分や重要と考える部分について、初日の中ザワによる基調講演と、大久保、三輪、中ザワのシンポジウムに絞って欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网と考察を行う。筆者は2002年から2004年までIAMAS(修士課程)に所属し、三輪のもとで学んでいた。ちょうど三輪が方法主義に参加し方法主義が活動を終了するまでの時期である。2004年にIAMASを修了した筆者は、後に方法主義が生んだパフォーマンス集団「方法マシン」に参加した。
オープニング ―方法の召喚―
岐阜おおがきビエンナーレ2023はIAMASのタイムベースドメディア?プロジェクトのメンバーに岐阜のガムラン演奏グループ「スカルムラティ」のメンバーが加わった「IAMASガムランアンサンブル」による演奏で開幕した。岐阜おおがきビエンナーレ2023は事実上、三輪眞弘のIAMAS退任展だ。ガムラン音楽は、彼が近年注目し実践している音楽であり、三輪はこの活動を通して音楽文化における西洋音楽由来の価値観とは違う新たな価値観を模索していると筆者は理解している。三輪にとっての最新の活動を提示する形となったガムラン音楽は、時空を超え、過去とつながる扉を開き、「方法」を現在に召喚する呪文として響いた。
中ザワヒデキの基調講演 ―原理と規則―
主催者挨拶に続いて行われたのは、方法の発案者である中ザワヒデキの基調講演「方法絵画?方法詩?方法音楽 ?方法主義はポストメディウムではない?」である。ここで筆者の関心を引いた部分は「方法主義」がなぜ「方法」という言葉を用いたのかという動機である。中ザワは、方法詩論(『現代詩手帖』2000年4月号)のテキストにおいて
二十世紀初頭のダダの芸術家たちによる制作の放棄と、未来派の詩人たちによる意味からの離脱と、新ウィーン楽派の音楽家たちによる調性の無視は、まったく別々の事態としてはどうしても思えないのである。同じ原理が、ほぼ同時期の美術と詩と音楽に作用したとしか思えない。
と書き、その原理とは何かを思考し、還元主義という一語にまとめる。しかし、そこに先人たちのやり残した空白が存在すると考えた中ザワはさらに思考を進める。
絵画を色彩平面に還元し、詩を文字列に還元し、音楽を振動時間に還元しただけでは、何が絵画を色彩平面に還元させ、何が詩を文字列に還元させ、何が音楽を振動時間に還元させたのかが語れない。そしてその「何」こそが、最初に述べた「同じ原理」のはずである。
ここでいう「何」を指す言葉が「方法」であり、それが方法主義につながる動機となった。そのことから中ザワは「方法」とは規則のことではなく、単一原理であると主張する。その主張はビエンナーレと同時期に行われていた岐阜県美術館でのIAMAS ARTIST FILE #09 のサブタイトルである「規則?解釈?(反)身体」における「規則」という言葉が中ザワの考える「方法」とは異なることを指摘する。このサブタイトルにおける規則という言葉は、方法主義者としての三輪の数々の実践(確率論でない決定論的なアルゴリズム作曲)から導き出された言葉だろう。中ザワの指摘により、両者における視座の差異-規則と原理-が明確になった。
この基調講演では、主に『妃』第13号(2005)のテキストに基づきながら、中ザワからみた「方法」の活動と終焉についてが語られた。このテキストはIAMASギャラリーにも展示されており、筆者は展示を鑑賞する時間の多くをこのテキストを読む時間に費やすほど興味深いものだった。と同時に他の方法主義者(足立?松井?三輪)の視点で書かれた「方法」の活動と終焉についても読んでみたいと思った。
中ザワの基調講演は、「方法」終焉後に行った活動である「新?方法」の話題へと進むが、ここでみた《海水浴》(2011)や《苦行》(2012)という写真作品は、中ザワの過去の活動であるバカCGにつながるマインドを感じた。
シンポジウム ―足立?松井から見た「方法」と三輪合流の経緯―
中ザワの基調講演の後は「方法主義」に関するシンポジウムが大久保のモデレートのもと行われた。シンポジウム冒頭では「方法」のメンバーである足立、松井のインタビュー動画の抜粋が流され、彼らから見た方法主義に対する考えを垣間見ることができた。
足立智美 ―ジャンルについての思考―
足立はインタビュー動画の中で、「方法」を通して芸術ジャンルについて思考する。足立にとっての「方法」とはモダニズムを継承するものであり、ここでのモダニズムとはクレメント?グリーンバーグの言説を参照しているという。グリーンバーグはジャンルの純化、ジャンル特有の形式をつきつめた。ジャンルの純化とは自己言及性であり、ジャンル自身が何であるかを還元していくことであると足立は語る。
方法主義はマルチメディアを拒否し、ジャンルの融解を認めない。ジャンル間に峻別する壁を立てることによって他の領域を考え、越境という言葉をあえて使わず特定ジャンルの外に出ることができる。
このような足立のジャンルに対する考え方は《方法音楽第8番》(2000)(還元した先の最小限)や《方法音楽第9番「線の消尽」》(2000)(立体にも平面にもなる楽譜)に結実していた。
松井茂 ―形式 純粋詩 量子詩―
松井は古代の詩における構造を研究していたという背景から詩の形式はそこに書かれる言葉の意味内容よりも先に立つと考え、形式を創作することが詩を書くことであると考える。その先例としてルールを提示することが作品である篠原資明の方法詩を参照する(12月10日は篠原資明と松井茂のシンポジウムも行われた)。篠原の「方法詩」に影響を受けた松井の実践としては《純粋詩》(2001-)がある。《純粋詩》は古橋信孝による詩の定義を参照して、構造をむき出しにした詩である。詩の素材として選ばれている言葉は数字であり、それを選択した背景には音楽で言うところのセリーのような考え方がある。具体的には漢字の一、二、三から成る数列が、アルゴリズムによって組み変わり複雑な韻律を構成する。
インタビューの話題は松井の活動にから、詩のリアライゼ―ションに移る。松井は詩のリアライゼ―ションの例として朗読をあげるが、朗読によって詩が成立するとは考えていない。朗読は作品を示すものとは別のもので、あくまでパフォーマンス領域の出来事だと考える。詩のリアライゼ―ションはテキストがあったら本質的にはそれ以外は必要ではないというのが松井の姿勢だ。しかし、松井自身は詩の朗読を行っており、そのことを松井はプロパガンダであるという。方法という運動を通して発さなければならない場合のデモンストレーションであると語った。
つづく、シンポジウムでは、三輪が方法に参加したいきさつが語られた。ドイツにおける音楽シーンで作曲家として積極的に活動していた三輪は96年にメディア?アートの学校(IAMAS)が新設されるとのことで教員として日本に帰ってきた。しかし、日本は社会における芸術の捉え方、現代音楽シーンのあり方などがドイツとは大きく異なるため、どのように活動していけばわからず彼は大混乱に陥った。その中でオノサトルやモーリー?ロバートソンとバンド活動を行うなど、様々なチャンレジを行って活動の方向性を模索する中、彼が初めて創作において手応えを感じたのはIAMASで制作した四人のキーボードのための作品《言葉の影、またはアレルヤ -Aのテクストによる-》だという。4台のプロジェクターや4つの独立したスピーカーシステムを使うような作品を個人で制作することはこれまではできなかったし発想もしなかった。まさにIAMASにきたからこそ作ることができた作品だったと語る。その後、映像作家の前田真二郎(IAMAS教授)をはじめ、当時学生だったさかいれいしうと共にこのシステムを拡張したモノローグオペラ「新しい時代」を制作した。そんな活動をしていた中、『ユリイカ 1998年3月号 特集=解体する[音楽]』(1998)の論考「作曲の領域シュトックハウゼン、ナンカロウ」を通して中ザワと出会った。作曲とは、音楽とは何かという問いに鋭く切り込むこの論考が音楽学者や音楽評論家でなく、美術家によって書かれていることにとても驚いたという。
アルゴリズミック?コンポジションの実践者である三輪は、アルゴリズミック?コンポジションの手法の中で一般的である確率論計算からのアプローチではなく、確定的なアルゴリズムでの作曲を2000年頃から試みるようになる。そうして完成した作品が《ハープのためのすべての時間》(2001年初演)である(シンポジウムの後、12月9日に岐阜県美術館で再演された)。この作品の制作がきっかけとなり、三輪にとってのアルゴリズム、規則という言葉が方法という言葉と結びついた。この曲が完成して直ぐに「方法音楽始めました」というメッセージを中ザワに送ったという。ちょうどその数ヶ月後に足立が「方法」から離れることになったという奇遇なタイミングだった。
ここまで、かつての「方法」メンバーたちが「方法」に参加したいきさつや考え方の違いなどを、シンポジウムの内容からわかる範囲で書いてきた。ここからは、なぜ方法主義の回顧展がおおがきビエンナーレを舞台に、事実上の三輪眞弘退任展として行われたのか筆者なりに考察したい。
諸芸術との連携、方法の回顧をIAMASで行う意味
「岐阜おおがきビエンナーレ2023」が三輪の退任イベントの性格を持つのであれば、なにも方法主義作品にフォーカスせずとも、オープニングで演奏されたガムランをはじめ、様々な傾向の作品を紹介する道もあっただろう。しかし、今回は岐阜県美術館で行われていた関連企画も合わせて、その内容を方法主義に集中させていた。ここに一体どんな意味があるのだろうか。主催者側の意図はわからないが、それとは関係なく筆者なりに考えてみたところ、やはりIAMASという学校のあり方と、創立以来関わっていた三輪が、アーティストとして異分野との連携をどのように考えてきたかに関係していると考える。
IAMASは創立以来、全国から情報技術を軸に領域横断的な表現活動や起業を目指す学生を集め、新しい時代への期待と共に多くの人材を全国に送り出して来た。「領域横断」という言葉が一般的化するかなり前からである。多種多様な学生だけでなく、ここで働く教授陣も様々な分野から集まっている。学校に多種多様な人間が集まるということは一見あたりまえのように感じられるかもしれないが、一般的な大学では専門分野に応じて学科やコースに細分化されている。しかしIAMASの特徴は、メディア表現という、ただ一つの専攻の中で多種多様な人間が互いに非常に近い距離でせめぎ合っているということだ。
ここで問題になるのは、相互のコミュニケーションである。筆者自身はIAMASの卒業生だが、その前は音楽大学で学んでおり、IAMASに進学するにあたって異分野の学生や教員とどのようにコミュニケーションをとっていくのか良くわかっていなかった。そんな中でとても参考にした言説がある。
ここで古の書物『コンピュータ?エイジの音楽理論』(三輪 1995)からの一節を紹介したい。この本は、三輪が自らのコンピュータ音楽において突き詰めてきた数々の実践を「象牙の塔」に例えながら紹介する。第三章:—解体する音楽、そして芸術—において、音楽とその他の分野における連携について語られる。
かつては異なる装置による異なる道具をもったその道の達人がそれぞれの分野で仕事をしていたわけだが、ふと横をみると、今まで門外漢には口をはさむ余地などまったくなかった近隣分野の達人が、自分とひじょうに似た問題を抱えている状況に出くわすことが起きてきたのである。「あれ?それってもしかしてこの話?」なんて、おそるおそる尋ねてみると、業界用語の違いだけで、結局同じ問題を抱えていたなどということになる。
この一節は、メディア?アートについて触れている章で、三輪自身の他分野との連携(オランダのビデオアーティストとのコラボレーション)における実体験から考えた文章だ。これを読んだ筆者は、少しだけ安心してIAMASに進学したのだが、今になって読み直すと、先に述べた中ザワの言説である、諸芸術に通底する原理などとも接続できる気がしてくるし、三輪と中ザワの思考回路がどこかで共通している気もしてくる。さらに三輪は異分野との連携?対話について、メディア?アートにフォーカスし、こう続ける。
面白いのはコンピュータのプログラムという共通言語をとおして、お互いに平気で相手の仕事に口をはさむことが可能なことだ。そしてまた、「画像にそのようなアルゴリズムを使うならば、それを音響合成の方法に展開してみたらどうだろう?」などと、一人ではたぶん決して考えつかなかったアイデアが共同作業を通じて生まれてくるのも楽しい。それだからこそ他方では「乱数を使うのはイージーでコンセプトのないアーティストがやることだ」、「ちょっと待て。肝心なのは乱数をどう処理するかを決め、システムを考えることだ。カオスだ何だと流行りものを使っただけで自慢しているアーティストの方がずっとイージーじゃないか!」などと、音でもない抽象的な話題で喧嘩にもなる。
いうまでもなく、お互いの考えていることが互いに理解できるからこそ、喧嘩が成立するのだ。そしてこれは、ぼくにはとても画期的なことのように思える。
「コンピュータのプログラムという共通言語」という部分は、IAMAS設立の理念にある情報技術を軸とした領域横断とも接続できるし、それを「方法」に置き変えると、方法主義者たちの連携、葛藤とも接続できる。三輪は、方法主義においてだけではなく、IAMASの同僚、学生たちに対しても、こうした共通する理念探しをとおして回路を開くという姿勢を貫いていたのではないだろうか。三輪が芸術家としての、そして教育者として他者と向き合う姿勢はここにあるのではないだろうか。このスピリッツこそが、事実上の退任イベントである方法主義の回顧展を通してIAMAS に残しておきたいものなのだと筆者は勝手ながら受け取った。筆者にとってそれは、方法主義を正しく理解することよりも大事なことだと思えたし、自分の持ち場にフィードバックして発展させたいものである。
ロシア?ウクライナ問題、イスラエル?パレスチナ問題の渦巻く、もはや第三次世界大戦の渦中で、他者との連携だとか、相互理解だとか、なんだか牧歌的なオチになってしまった。通底する原理、共通する理念はここにはあるのだろうか。真っ向からぶつかり合う中でそれでも我々にできることはなんなのだろうか。世界を思うとなんとも気が重いが。自分は自分の持ち場でやれることをコツコツと積み重ねてやっていくしかない。しんどいことがある度に2023年のおおがきビエンナーレを思い出せたらと思う。
ここには書ききれなかったビエンナーレ中のシンポジウムとして、岡田暁生?三輪眞弘?吉岡洋による鼎談 「真理と方法、再び」や篠原資明?松井茂の対談「方法と瞑想」、方法マシン同窓会「来れ、集え、マシンとなれ?!」がある。どれも方法主義の理解を深めるというよりは、方法を通して思考を開くものだったように感じた。ここでは大した活躍はできなかったが、方法マシン同窓会には筆者も登壇している。シンポジウムはそれぞれ必見に値するものだったので、是非アーカイブ視聴で追体験されることを願う。