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展覧会がつむぐ「メタ?モニュメント」と「モニュメント」

服部真吏(編集者?ライター)

「ワークショップ24」の7階に展示されたクワクボリョウタの《日本のいちばん大きい碑》(2024)。背後に「センタービル」。

開催場所について

オンラインとオフラインのハイブリッド形式の展覧会「DX時代のメディア表現──新しい日常から芸術を思考する」(以下、DX展)は、第39回国民文化祭(通称名称『「清流の国ぎふ」文化祭2024』)の関連プログラムとして、2024年11月1日から7日までの1週間にわたり、欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网[IAMAS]で開催された。ディレクターは詩人でIAMAS教授の松井茂がつとめ、IAMASのファカルティや卒業生が中心となり、メディア?アーティストの藤幡正樹や2024年のヴェネチア?ビエンナーレ日本館で展示をした毛利悠子ら15組が参加した。
オフライン会場となるのは、IAMAS附属図書館と宿泊施設「ソピア?キャビン」で、どちらも岐阜県大垣市の鉄骨構造10階建ての「ワークショップ24」(2002)にある。この複合ビルは「センタービル」(1996)、「大垣市情報工房/アネックス」(1998)、「ドリーム?コア」(2000)とともに、インターネット元年と呼ばれる1995年の1年前、中部圏の一大IT拠点として設立された「ソフトピアジャパン」のエリア内にあり、なかでもソフトピアで働く人々を24時間複合的にサポートするための施設として計画された。10階から8階の賃貸住宅は6階から3階に入居するIT関連企業に勤める社員の住まいとして想定され、現在、IAMAS附属図書館がある1階にはドラッグストアとファストフード店があったという。
7階は短期出張者から団体利用へ客層や運営方法が変わったものの、竣工時から宿泊施設として運用される。統制的なミニマムな空間に、隣接するドリームコアの設計者、プランテックが運営していたコンパクトホテル「ファースト?キャビン」や、ソフトピアのシンボルであるセンタービルの設計者、黒川紀章が考案したカプセルルームを思い起こす。会期中はバスルーム付きの個室に展覧会関係者が泊った。さながら、ワークショップ24が当初意図していた理想的な生活を達成するかのように、関係者は作品と展示のそばで管理や仕事をしながら滞在した。
図書館もまた、通常通りに開館しながら、展覧会を催した。IAMAS附属図書館の図書館長である松井は、これまでにも積極的に図書館で展覧会を開催してきたが、実は図書館での開催がDX展の起点であった。まず、藤幡正樹の《Light on the Net》(1996、2022)を図書館に設置し、それから第二会場としてのソピア?キャビンやほかの出展作家が決定されていった※1。会場は展示室をもつような美術関連施設ではない場所が意図的に選択されている。

Fig.1:ソフトピアジャパン。

Fig.2:1階IAMAS附属図書館の会場レイアウト図。閲覧スペース中央に藤幡正樹の《Light on the Net》が設置され、閲覧室はオンライン配信の中継拠点として使用された。(図面提供:FOLT)

Fig.3:7階会場レイアウト図。エントランスに2作品、共有廊下に5作品、共用の和室に2作品、宿泊用の個室を用いて3作品が設置される。(図面提供:FOLT)

メタ?モニュメントの歴史のなかで

タイトルにもある「DX」という言葉は、新型コロナウィルス感染症の流行と共に一気に拡散された。その波及はアート業界にも及び、オンライン展覧会が一大ブームとなったことは記憶に新しい。ただ、オンラインという場所を美術館やギャラリーの物理的環境の代替手段とするのが大半であり、この風潮を批評的に捉えたのが、オンライン?イベント「メタ?モ(ニュ)メント2021 – Meta mo(nu)ment 2021」(以下、メタ?モ(ニュ)メント展)である。2021年3月31日に12時間限定で開催され、DX展に《モランディの部屋》(2019–2020)を出展するArchival Archetypingが主催した。DX展の出展作家の1/3以上がメタ?モ(ニュ)メント展に参加していることからも、DX展の兄貴分的存在と言えるだろう。
「メタ?モ(ニュ)メント」は1995年に藤幡正樹が提起した「メタ?モニュメント(Meta Monument)」というアイデアを参照する。藤幡はサイバースペースという特権的な環境を多くの人々に開いていくため、コンピュータのネットワーク上に富士山のような共同体のシンボル、モニュメントの建設が必要だと考え、それを「メタ?モニュメント」と呼んだ※2。藤幡の提案はコミュニケーションの分断を生んだコロナ禍でよりリアリティが増し、「メタ?モ(ニュ)メント」展に至った。
メタ?モニュメントは実際に、1996年、藤幡正樹研究室とソフトピアジャパンの共同研究で具現化が試まれた。それは「Light on the Net」と呼ばれ、配線ボックスに吊るされた7本のアルミチャネル材(長さ2000mm)にそれぞれランプが7個、合計49個を収められたストラクチャー(2096.5×1933×100mm)であり、さらにそれを撮影した映像がオンラインでリアルタイムで配信され、その映像に映る電球をネットワーク越しに見た人が操作できるというシステムをもつ。具体的に言えば、ストラクチャーの前にいる鑑賞者は、実際に電灯がランダムに点灯したり消灯したりする様子を見ることができ、オンライン上の鑑賞者は画面上の電球の画像にカーソルをかざすと手の形をしたアイコンが現れて、電球を点けたり消したり操作することができる。
ここで、一度、藤幡正樹のメタ?モニュメントと《Light on the Net》を切り口にDX展を捉え直してみたい。

─1995年、インターネットの誕生をきっかけに藤幡正樹が「メタ?モニュメント」というアイデアを思いつく
─1996年、大垣にソフトピアジャパンが設立され、藤幡正樹研究室と共同研究を開始。「Light on the Net」をつくり、ソフトピア?ジャパン?センタービル1階に設置
─2002年、「Light on the Net」をソフトピア?ジャパン?センタービルから撤去し、運営を終了
─2017年、伊村靖子と松井茂が《Light on the Net》の筐体を発見し、再展示を計画。「岐阜おおがきビエンナーレ2017」で《Light on the Net》の再解釈をめぐるシンポジウムを開催
─2021年、パンデミックによって「メタ?モニュメント」のアイディアに再び注目が集まり、「メタ?モ(ニュ)メント2021」展を開催
─2024年、IAMAS附属図書館に《Light on the Net》が設置され、DX展が始まる

2017年のシンポジウムでは、登壇者のひとりで1990年生まれの永田康祐が「《Light on the Net》が見出したメタ?モニュメントが成立しない時代になった」と発言した※3。一方で喜多千草は当時を振り返り、《Light on the Net》の前身となる作品《Peep Hole》を知る人が《Light on the Net》を知ってサイトを訪ね、遠隔から灯りを点けたり消したりすることを楽しみ、その動線を経由した人々こそが《Light on the Net》の共同体に属する、と語った※4。もしDX展をひとつの帰着としてみるならば、《Light on the Net》の共同体はここにある。《Light on the Net》はDX展という(国民的祭典ではなく)国民文化祭において、そのモニュメントとして復活が企てられたのではないか。モニュメントはいつもそこに、太陽のように、来る人々を待ち続けなくてはいけないからこそ、常設展示が待たれていた。

Fig.4:藤幡正樹《Light on the Net》(1996, 2024)のクローズアップ。(撮影:小濱史雄)

Fig.5:IAMAS附属図書館に設置された藤幡正樹の《Light on the Net》。その前で話す藤幡正樹(左)と松井茂(右)。ふたりの背後のモニターにオンライン上の《Light on the Net》が映し出されている。2024年11月2日のトークイベント「DX時代のメディア表現展ガイド」にて。(撮影:小濱史雄)

Fig.6:藤幡正樹《Light on the Net》のスクリーンショット。2024年11月28日10:02に著者撮影。きっと今も、《Light on the Net》はIAMAS附属図書館に設置され、オンラインで動いているので、百聞は一見にしかず、これを読んでいる皆さんにはぜひ訪ねてみてほしい。

スペースワープ 会場の展示作品と

図書館には《Light on the Net》のほか、ふたつの作品がひっそりと展示され、7階は合計12の作品を紹介し、平面作品が廊下に、音が出る展示は個室に、彫刻のような立体作品ははみ出るように配置された。また全体を通して、絵画、彫刻、写真、映像、そして、手紙、電話、ラジオ、メール、SNS、Facetimeと、オールドメディアからニューメディアまでが網羅されようとしていた。
7階会場のトップバッターは平瀬ミキの《氷山の一角》(2018)で、4色に塗られた多面体とスクリーンが顔を向ける。多面体だからこそ、どこから見てもをこちらを見ているような気がする。ぐるっと一周まわってカメラの位置を確認しQRコードを読み取ると、目の前のディスプレイと自分のスマートフォンの画面が同期していることがわかる。だが、よく見るとどちらの画面にも、この場所でカメラと私が捉えているものだけでなく、何かが混在している。この作品は会場内に複数点在していて、時々ひょっこり現れては「あなたが見ているのは、まだまだ一部ですよ」と注意喚起する。会場を離れてオンラインから覗くと、展覧会と自分の関係が一層曖昧になり、私が見ている世界が頼りなくなる。
受付カウンターではフロアマップとリーフレットを受け取り、受付嬢の指にはめられた指輪についての解説を聞く。この指輪はミズタニタマミの《Tamami is going to encircle “To Encircle” in Tamabi.》(2023)で、多摩美術大学の八王子キャンパスに設置されているリチャード?セラの《To Encircle Base Plate Hexagram, Right Angles Inverted》(1970)をミニチュア化したものだ。ミズタニの作品か、それともセラの二次制作と捉えるか、そもそも八王子に現在あるセラ作品を認知していないセラ財団とのメールを通して「作品」を問い、平瀬のメタ的視点を受け継ぐ。
エントランスからまっすぐ続く中央廊下では、赤松正行《タレスの刻印》(2022)がのびる。星の軌跡写真をライトボックスで展示し、ボックスの中に組み込まれたスピーカーから、撮影時に採取された環境音が流れる。この音は開場時間の12時から18時には夜や草むらの演出として機能し、夜には均質な空間に溶けて日中に見た星を脳内に呼び覚ます。朝方になると昼間に見える月のような違和感を与え、ぐるぐる廻る時間のなかでバロメーターのようだった。
現場では、この中央廊下の手前でオレンジ色のサインが三角コーンのように足止めをするので、実際に訪れた人の多くは左右を見比べただろう。左は、前林明次の《場所をつくる旅 2024》(2024)で、普天間基地近郊で採取したオスプレイの飛行音を時折、爆音で流すから、たまたまオスプレイに出くわした場合は追われるように背を向けたかもしれない。右は安喜万佐子+前田真二郎による《Waves on the Retina》(2024)のインスタレーションで、エントランスを向く壁に立てかけられたディスプレイ上に50%くらいの確率で花火が打ち上がるので、ついついこちらへ誘導されたかもしれない。前田が制作した花火と波の映像は、交互に安喜の描く松林と金箔が貼られた絵画に投影される。20億光年か何億光年か、星として見える光にも悠久の時間を感じるが、花火や波もまた一瞬の儚さと同時に、人類の長い歴史を伝え、どこか知らないところにつながるような感覚が得られた。

Fig.7:平瀬ミキ《氷山の一角》(2018)1階IAMAS附属図書館での展示風景(撮影:小濱史雄)

Fig.8:7階エントランスを見る。手前の黄色い立体が平瀬ミキ《氷山の一角》(2018)の一角。受付カウンターに座るふたりがミズタニタマミ《Tamami is going to encircle “To Encircle” in Tamabi.》(2023)を身につけている。(撮影:小濱史雄)

Fig.9:赤松正行《タレスの刻印》(2022)(撮影:小濱史雄)

Fig.10:前林明次《場所をつくる旅 2024》(2024)(撮影:小濱史雄)

タイムスリップ オンライン配信の先に

出品作品17のうち、ハイブリッドで展示されたのは藤幡正樹の《Light on the Net》と平瀬ミキの《氷山の一角》で、山下麻衣+小林直人《発芽を待つ》藤幡正樹《White Balance》(2021)毛利悠子《For the Birds》(2021)の3作品はオンライン配信のみとされていた。※5《For the Birds》は、岐阜市にある久松真一記念館の庭先から配信され、悪天候による不具合で初日だけがライブ配信となり、残りは初日の録画を再生したらしい。そうは聞いても、遠くの知らない場所で起きてることはライブなのか録画なのか、容易く判断できなかった。
タイムラグというと、青柳菜摘+佐藤朋子は以前にSNS上で配信した一連の映像を編集し、《TWO PRIVATE ROOMS—往復朗読》(2020–)として展示した。ふたりのやわらかな声を小さな個室のシングルベットの上で聞くと、時間の経過よりも失われたリアルタイム性を補完するほどの親密さを感じ、作品に対する前提知識やテロップがなければ配信と勘違いしたかもしれない。
同期しているのか、していないのか、作品の制作過程に好奇心が煽り立てられたのは、誉田千尋の《117》(2021, 2024)だ。7階奥の和室にスクリーンと電話、ちゃぶ台と座布団が置かれたインスタレーションで、暗い部屋に靴を脱ぎ上がることから始まる。壁一面のスクリーンを見ると黒い服を着た男性が現在の時刻を読み上げて電話をかける。そして、目の前にある電話のベルが鳴り響き、一瞬にして室内に緊張が走る。思わず、受話器を取る人もいれば、じっと呼び鈴を凝視している人もいる。受話器をとると現在の時刻を知らせる自動音声が流れ、監視されているのか、ライブ配信なのかと錯覚するが、スクリーンに「カチンコ」が現れ、事前に撮影されたものだと気付く。そしてまた延々と同じ動作がループする。現在の時刻が読み上げられ、電話がかかってくる。まるでホラー映画を見ているかのようだ。
そのためか、池田町有線放送電話プロジェクト《池田町有線放送アーカイブ》で、1965年から52年間運営されていた池田町の有線放送電話の音声データが流される時、妙に部屋に置かれた電話の存在を意識してしまった。「IoT」がもてはやされた時代にはこんな感覚があったのかもしれない。

Fig.12:毛利悠子《For the Birds》(2021)の作品が設置され、配信を行なっていたた久松真一記念館と、ソピア?キャビンの搬入と撤収のタイムラプス(撮影:?方大)。

Fig.14:誉田千尋《117》(2021, 2024)(撮影:小濱史雄)

結び:テレパシーを送ってみる

思い返すと、昔の固定電話でのやりとりにはアノニマス性があった。その前提には声で特定できる人間関係や、電話交換のように安心して人と人をつなげられる信頼のようなものがあった。インターネットも原義は「Inter Net」で、ネットワークを結ぶネットワークとして誕生したが、今や、繋がる相手やその先の共同体の存在はさておき、網目だけが日々濃くたくましくなっていく。もしかすると、リコメンドを絶やさないAmazonやGoogleは、私が属する共同体を私以上に知っているかもしれない。SNSのような草の根的なグループではなく、自動的に発生した閉鎖的な新しい共同体が知らず知らずに生まれているかもしれない。ただやはりこれは、何かを隠蔽したり、特権化するような仕組みに基づくべきではない。
DX展ではオンラインとオフライン、情報と物、過去と現在と未来など、頻繁に行き来させるような作品が集められた。そのキュレーションと共鳴するように、会場設計者の冨田太基(FOLT)はコンセプトを「コピーアンドペースト&デリート」として、7階の中央廊下に縦列するオレンジ色の柱をコピーし会場サインとして配置した。またOAフロアの上に敷かれた500 x 500 mmのカーペットを剥がして、均質的な平面に銀色の動線を描いた。テトリスのような、互換性が高い操作を繰り返すことで、固定概念に縛られたヒエラルキーをつけないように、フラットな関係が目指された。
こうして様々なものを注意深くつむぎながら、あらゆるところへ発散させ、また、集め、いつか戻ってきても大丈夫なように、《Light on the Net》をモニュメントとして復活させたのかもしれない。もともと、《Light on the Net》はオンラインとオフラインの二面性をもち、ソフトピアジャパンやIAMASと関わり続けてきたが、ロラン?バルトがモニュメントに求める必須条件、無害で無機能であり続けるためにも、研究プロジェクトから「作品」に昇華されるべきだった※6。そのためにはきちんと収蔵され、公共に展示させるという手続きをとる必要があった。
今のところ、《Light on the Net》は展覧会が終わっても、24時間、稼働している。ワークショップ24の理想であり、天体のように。そして、この展覧会に思いを馳せ記事を書いている間、コーヒーを一口飲むようにタブを切り替えて、私は《Light on the Net》の様子を見守る。もしかしたら、さっきハートマークをつくった人は、くしゃみをしているかもしれない。

Fig.15:7階柱のコピーアンドペーストでつくられたサイン。その奥に《Light on the Net》。(撮影:小濱史雄)

注釈

※1 2024年11月1日「ソピア?キャビン」にて、会場設計者の冨田太基にインタビュー。

※2 藤幡正樹『巻き戻された未来』ジャストシステム、1995年。

※3 『欧洲杯比赛投注_欧洲杯外围app-竞猜|官网紀要 第9巻』、p.164。

※4 同上、p.182。

※5 三輪眞弘《呪い(まじない)ツイッター》(2023)の楽譜が配信され、2024年11月4日の2回(14時半?、17時半?)谷口かんなによる演奏が行われた。

※6 ロラン?バルト著、左近訳『エッフェル塔』筑摩書房、1997年。