「アーティスト」という人物は、何か特殊な能力を持っているのだろうか?天才的な閃きがあるから作品を生み出せているのだろうか?アーティストであっても、作品にしない、作品未満の思いつきというのはある。いわば、作品の種とも言える発見がそこにある。その種には、作品へと育っていくアイデアの元がつまっている。作品の種には、表現というにはまだ弱々しい、けれどもそのアーティストらしい観察眼のエッセンスが含まれている。観察眼のエッセンスというのは、アーティストがこんなものを面白いと思っているんだ、こんなふうに世界が見えているんだ、という「世界の面白がり方」のようなものだ。世界の面白がり方を何種類も提示してみれば、そのアーティストがどんなふうに世界を眺めているかがおぼろげながら見えてくるだろう。
一方、「ミュージアムエデュケーション」は、必ずしもアーティストの世界の眺め方だけを称賛したりはしない。アーティストは独特のものの見方をしているが、「鑑賞者も鑑賞者なりの面白がり方をしているんだ」という立場をとる。アーティストが独自の世界の眺め方をして生み出した作品に、さらに「独自の解釈を創り出して」その作品を能動的に読み込んでいく。そこには、アーティストさえ思いつかなかった解釈の広がりが生まれるかも知れない。そして展覧会場は、鑑賞者同士の異なる視線が交錯し、多様な立場の人が集まり交流する場になる。
─クワクボリョウタ、会田大也