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岐阜イノベーション工房 参加者の“その後”
社員が自由に参加できる、新規事業創出プロジェクト(太平洋工業)

「岐阜イノベーション工房」は、イノベーション活動に積極的に取り組む風土を岐阜県内に醸成することを目的に、企業向けに実施したプログラムのことです。アート、デザイン、工学、社会科学など、多様な分野の教員と学生が切磋琢磨するIAMASという環境で醸成された手法のうち、イノベーション創出に有効だと考えられる手法を学び、最終的にはそれぞれの組織における実際の課題に、チームで取り組みます。
今回は、2020年度に「岐阜イノベーション工房」に参加した太平洋工業株式会社のチームを代表して、金森 和宏さんにその後の展開についてお聞きしました。

金森 和宏さん

太平洋工業株式会社 バルブ?TPMS事業本部
製品企画開発部 商品企画グループ
「Ωプロジェクト」プロジェクトリーダー

一人の社員の声から始まった、新規事業創出プロジェクト

小林 現在、太平洋工業さんでは新規事業を創出する独自のプロジェクトが動いているとお聞きしました。
今日はそのプロジェクトについて、具体的に教えていただけますか。

金森 私が今リーダーを務めている「Ωプロジェクト」は、社内公募型の新規事業創出プロジェクトです。
参加者には自由な発想でアイデアを出してもらい、そこからビジネスモデルの仮説を構築?検討し、事業化の可能性の高いものにはリソースを投入して事業化へ進みます。
新分野への挑戦、パーパスによる人財の活躍を掲げたプロジェクトで、2023年に正式に始動しました。

このプロジェクトのそもそものきっかけとなったのは、2020年に参加させていただいた「岐阜イノベーション工房」なんです。
当時、まだできたてほやほやの「新製品企画推進室」のメンバー3名で参加しました。この部署は当時、既存技術や製品分野を起点とした新製品や新機能の企画?開発といった使命を与えられていた部署で、事業創出のヒントを求めて参加した経緯があります。

小林 2020年、当初リアル開催の予定が、COVID-19蔓延により急遽Zoomでの開催に切り替えた、初のオンライン開催の「岐阜イノベーション工房」でしたね。

金森 ほかの参加者の方とお会いできなかったのは悔やまれますが、講義の内容はとても充実していて、毎回、かなり刺激的でした。
講義のときに小林先生がおっしゃっていた「我々はプロダクトを正しくつくっているのか、正しいプロダクトをつくっているのか」という言葉がとても印象に残っていて、今でも時折思い出します。
私たち製造業は「モノを正しく作る」ことは得意ですが、「作っているものが正しいか」は、あまり考えたことがなかったんですよね。

それ以外にも、さまざまな手法やツールを教えていただいたことで、私自身、考え方や思考の広がり方に変化がありました。そして、きちんと「仕組み化」していくことで、誰にでも事業創出のチャンスがあることも学びました。

小林 「岐阜イノベーション工房」に参加したあと、どのように「Ωプロジェクト」を立ち上げていったのでしょう。

金森 そもそもの始まりは、私が業務改善の一環としてプロジェクト立ち上げの元になる提案をしたことでした。弊社には昔から、社員が日々の業務のなかで気づいた業務改善を発表する場が定期的に設けられているのですが、そこで私が「新規事業を考える仕組み」を提案しました。
特別な設計者や技術者でなくても、「仕組みとフローがあれば誰でもできる」ことを証明するために、当時、世の中にあるツールを用いてあるテーマの簡単な事業計画書を作成し、それを掲げて発表しました。
直属の上司から賛同をもらったことがきっかけとなり、アイデアが一歩前進しました。
当時、管理職を対象とした経営陣への提案制度の一つに、「Creating Tomorrow Project」という活動がありました。私の上司がそこにエントリーし、私もメンバーの一人として参加しました。この活動ではまず、従業員に新規事業に関する意識調査を実施しました。すると、6割近い従業員が課題意識を持ち、新事業に挑戦したいと答えたんです。しかし、現実的には工数不足やスキル不足がボトルネックとなっていました。そこで、私たちに今必要なのは、掛け声だけでなく、新規事業を持続可能な形で生み出し続ける仕組みづくりだと確信し、Ωプロジェクトの原型となる企画を一緒に作り上げて経営層に提案しました。
その結果、経営陣にもこの提案が承認されました。本格的に動き出したのは、2022年の春ごろです。そこから数名のプロジェクトチームを組んで、どういったフローにしていくかを話し合い、仕組みを構築していきました。

小林 なるほど。金森さんが発信したアイデアから、始まっていったんですね。
こういった新しい取り組みの立ち上げでありがちなのが、トップダウンで「何かやってくれ」と言われたけれどうまくいかないパターン、あるいはボトムアップで「何かやりたい」と思っていてもそれを通す機会がないパターンなど、特に大きな企業であればあるほど、そのあたりがとても難しいと思うんです。
でも金森さんは、もともと社内に当たり前にあった「業務改善」の変化球として投げたことで、話を通しやすくするだけでなく、その業務改善の解釈を拡張したともいえると思います。それがとても面白いなと、聞いていて感じました。話が通っていく道筋、プロセスを自らつくっていたんですね。

 

スモールスタートで走り始めた「Ωプロジェクト」

小林 具体的に、「Ωプロジェクト」はどのようなフローで動かしているんですか。

金森 社員は強制参加ではなく、自由参加です。
まずは「やってみたい!」という参加者を募ってアイデアを自由に出してもらいます。その第一段階で出してもらう「アイデア」は、まだ自社技術とのアセットを考える必要のないフェーズで、とにかく自分の興味のあるジャンルや、困っていることなどからアイデアを絞り出してもらいます。
その後、書類審査を通過したアイデアは、チームをつくってビジネスモデルの仮説を構築し、プレゼン審査へ進みます。そこを通ると、実際にビジネスモデルを検証するフェーズへ入り、スムーズにいけばそのまま事業化へ進みます。
ちなみにプロジェクト名の由来は、国内の自動車市場黎明期から果敢にバルブコア製造に挑戦してきた歴史のある弊社が、その創業の精神に立ち返って、創業者が大切にしていた「尺取り虫精神」にちなみ、尺取り虫の形と、“究極を目指す”という意味を込めて「Ω(オメガ)」と名づけました。

立ち上げの際は、まずはアイデア出しから事業化までのフローや評価基準などを一度確立し、全社展開の前に一部社員を対象に数チームで試験運用的にサイクルを回して検証しました。
その結果、「これは全社展開しても良さそうだ」ということになり、2023年度に「Ωプロジェクト」が立ち上がりました。
ですので、岐阜イノベーション工房が終わってから、約2年後にこのプロジェクトが正式に動き始めたことになります。

小林 初年度は、どれくらいの方が参加されたのでしょう。

金森 試験運用後、はじめて全社に展開した1年目の応募開始時は、「公募形式で、本当に人数が集まるのだろうか…?」と実はとても不安でしたが、想像を大きく超えて106名の社員の参加があり、たくさんのアイデアが集まりました。
勤務形態などでそもそも参加できない社員もいますが、参加対象となる社員は600名ほどなので、17%ほどが自主的に参加してくれたことになります。

小林 初年度からそれだけ多くの方が興味を持って挑戦してくれるというのは、素晴らしいことです。
そして、運用前に小さなサイクルを回しながら、都度手応えを確認しつつ進めていくことは、とても望ましい形ですね。

たとえば、どこかの外部コンサルに丸投げして「新規事業創出の仕組みを作りたいから、あとはよろしく!」とすることもできると思いますが、それでは結果的にうまくいかないケースが多い気がしています。そうではなく、当事者である自分たちで「本当にこの組み立てでいけそうか?」というのを小さく回して何度も検証して、そこから金森さんを中心とした自社のチーム主導で動き出せたからこそ、たくさんの人が参加したいと思えるようなものになったんだと思います。さらに、その後全社に混乱なく浸透?拡大していき、そういった挑戦の文化づくりができてきたんだと思います。

金森 そこは私たちも大切にしてきたところでした。
「なんか面白そうなことやってるな」っていう空気感が、社内に浸透していくといいな、と。

小林 実際に、1年目はどんなアイデアが生まれたんですか。

金森 106名から、90案以上のアイデアが挙がりました。
本業であるモビリティ関連のアイデアが多いわけではなく、食関連、子育てや介護の悩みを解決するアイデア、それ以外には個人の趣味から目をつけた筋トレや登山、ウェアラブルデバイスなど、成長市場をとらえたアイデアから、個人的な興味?関心を活かした個性的なアイデアまで、さまざまでしたね。

小林 かなり幅広いですね。
事業化に至ったアイデアもありますか。

金森 2022年度の試験運用時にアイデアを検討していたチームの一つが、2024年に防災用マットとして「MATOMAT(マトマット)」という商品をデビューさせました。
このマットは、工場の生産過程で出るウレタン端材を粉砕してチップモールドにしてカバーをかぶせたもので、当初は「廃材となっているウレタン端材を活用したい」というアイデアがきっかけでした。
開発段階で、大垣市や教育委員会と連携し、避難所での利用や教室での運用についても意見交換を重ねて改良を重ねました。普段は教室の椅子につけてクッションとして使って、災害時には広げてマットにすることができます。防災対策としてはもちろん、子どもたちの防災教育のきっかけにもなっていて、現在、岐阜県大垣市の全ての小学校に導入していただいています。

小林 事業化?商品化にあたって、苦労した点はありましたか。

金森 一つのアイデアがビジネスモデルになり、検証などのステージを経て事業化するまでのステップを仕組み化したことで、進める側はスキームを使って考えることができ、ジャッジする側もある程度判断基準があるので、「ちゃんと決まっていく」んですよね。検討に必要なものが揃っていることは、ゴールに近づくこととイコールなんだと、改めて仕組みの重要性を私自身も事務局という立場として学びました。

特に技術者は、技術寄りなアイデアを出すのは得意でも「それをどうやって売るか」という一番大切な視点が抜け落ちていることが多いんですよね。
共通の「アイデアシート」を活用したり、ビジネスモデル構築トレーニングなどをすることで、持つべき視点をしっかり持って進めていけたのではないかと思います。

小林 僕も最初に勤めていたのはメーカーだったので、「技術者らしい、技術寄りのアイデア」という感じはとてもわかります。
金森さんたちが構築した仕組みが、そうして機能していることこそが、本当に素晴らしいと思います。

 

どこまでも前向きに挑む、その“姿勢”を大切に

小林 「Ωプロジェクト」で出てくるアイデアは、本業のモビリティ関連とは違うジャンルのプロジェクトも、かなり多いですよね。

金森 はい。
「Ωプロジェクト」は自由なアイデアから始まるため、なかにはモビリティ業界とは全く関係のないジャンルのものに取り組むこともあります。参加していない社員からは、時に遊んでいるように見えることもあるようですが、そのあたりの理解を得ていくことや、風土をつくることも今後の課題の一つです。

プロジェクト関連の作業は「工数の2割を使っていい」ということになっています。もちろん2割では物理的に足りないことも多いですが、それでも人件費や開発費用など、会社の利益を使って新規事業の創出に取り組むことに変わりはありません。
これについては社長がよく話すのですが、「既存事業で儲けた大切な利益を、大事に使っていきたい」という気持ちはとても大切ですし、参加している社員の皆さんにも、そういう意識をしっかり持って欲しいと思っています。
やるからには、ぜひ前向きに挑んでほしい。そして、転ぶならどこまでも前向きに転んでほしい。
立ち上げた事業が成功するか否かは問いませんが、少なくともこの活動に臨む姿勢としてはそういった意識を持って、みんなで前向きに一生懸命取り組みたい、というのはいつも伝えています。

小林 なるほど。
組織の一員であることを意識しながら、でも自分ごとに落とし込んで取り組む経験を積むことは、とても大切なことですね。

金森 「Ωプロジェクト」は、試験運用を含めると今年で3回転したので、現状の課題もいろいろ見えてきました。今後はより持続可能な活動にしていくために、この活動自体も進化させていく必要性を感じています。
毎度同じやり方ではアイデアも枯渇しますし、どうしたらみんなを飽きさせずに巻き込んでいけるか、それは事務局としての大きな課題でもあります。

最近は、参加者の関わり方の進化についても考えています。
最初から最後まで関わらなくとも、いろいろな方法があるのではないか?と模索しているのですが…。

小林 アイデアの種から、プロジェクト立ち上げ、そして開発を経て市場に送り出すまで、メンバー全員が常に全力で走り続ける、もちろんその方法もありますが、それ以外にも、いろいろな参加の仕方がありますよね。
プロジェクトの序盤では力が発揮できなくても、途中で参加する人もいてもいいし、最後にクオリティを上げることに参画したいという人もいます。そしてそれが得意な人もいます。
金森さんが言うように、いろいろな形があっていいと思います。

金森 おっしゃる通りで、そのあたりはチームリーダーがメンバーの適性を見ながら、フェーズごとにメンバーを適材適所で配置していくことも、一つのやり方だと思います。
最初から最後まで任せるのもいいですが、それで力尽きてしまう社員がいたらもったいない。
私たち事務局が存在している意義として、「プロジェクトを外から見てコーディネートする」こと、そして、「仕組み化によって最適な方法を見つけること」も、とても大切だと思っています。ただ、それはまだ理想論でしかなく、まだまだ足りていないところだと感じています。
参加してくれる社員のみなさんが、もっとのびのびと、安心してプロジェクトに没頭できるような環境をつくれたら、とてもいいですよね。

 

オープンイノベーションによる、新たな価値創造へ

小林 今後の「Ωプロジェクト」の展望はありますか。

金森 今は「新規事業」という、いわゆるプロダクトやサービスみたいなわかりやすく“商品”のようなものを考えるプロジェクトが多いですが、我々の現場はものづくりの工場なので、工場での困りごとの解決や、業務の効率化といった方向性についても広げていけたらいいなと思っています。
もう少し具体的に「自分たちへのメリット」を考えるようなテーマ設定をして、それを事業化する道もあると思います。もしかするとその悩みは、自動車製造業界共通の悩みかもしれないので、内容によっては自社だけでなく他社への展開もできるかもしれません。

小林 なるほど。

金森 実は、今夏、社内に「オープンイノベーション推進室」が立ち上がりました。
たとえば、仮説検証まで進んだ新規事業を事業化するのは、社内でする方法もあれば、スタートアップ企業と手を組んだり、すでに取り組んでいる会社さんと一緒に大きくしていったりと、いろいろな方法があるんですよね。
最短で、もっともスケールが出る方法、一番世の中の人の役にたつやり方は何か、さまざまな選択肢が取れることを念頭に置いて、柔軟に考えていけたらいいなと考えています。

小林 オープンイノベーションの観点から見ても、御社の場合、「Ωプロジェクト」の土壌があることが、すでに大きな強みだと思います。このプロジェクトを多くの社員さんが経験していることで、オープンイノベーションへの段階もスムーズに踏んでいけると思うんですよね。

一般的には、製造業の皆さんにいきなり「さあ、オープンイノベーションだ!」と動き出しても、どうしていいのかわからない、という悩みをよく聞きます。でも御社は「Ωプロジェクト」によって、そもそもそうした土壌が耕されています。アイデアを出す力だけでなく、ビジネスモデルに落とし込む力、選択肢を見つける力、検証を重ねる力、判断をする力があると思うんです。
加えて、自分たちのアセットをしっかり把握する力、新しいものをつくりあげていく手応えのようなものが感覚でわかってくると、それこそオープンイノベーションがぐんとうまく行くと思います。

金森 なるほど。それは確かに理想のかたちですね。
もうひとつ、これは私が個人的に思っていることなんですが、新規事業を新たに生むことばかりではなく、既存の事業や普段の業務に、この経験が活きていくと、すごくいいなと思っています。

一回のプロジェクトで100近くのアイデアが生まれても、その中から審査を通過できるのはほんの数本。残念ながら通過が叶わなかった社員は「自分のアイデアは落ちたからこれで終わり、すべて無駄だった」と言いますが、決してそんなことはないんです。そこまで検証してきたノウハウや経験こそが、その人の資産になる。その経験が積み上がっていくことこそが、新規事業が立ち上がるのと同じくらい、価値のあることだと思っています。

小林 確かに、そうですよね。
たとえばApple社のように、自社でも設計?製造できる能力を持っていることで、挑戦できる幅も要求できる幅も違ってくる、みたいな話とも似たところがありますよね。
創出するということだけでなく、何かを選び取って判断していくときに、ちゃんと手触りを感じられる人たち、いろいろな経験値を積んだ人たちだからこそ、できることは広がります。

金森 「Ωプロジェクト」で経験したノウハウや、ぐんと拡張した視野や考え方は、既存事業でも絶対に発揮できるし、そういう風土をつくっていくプロジェクトにできたらいいな、という思いも個人的には強いです。
「Ωプロジェクト」は、実験の場としても機能すると思いますし、その仕組みをつくるのは私たちなので、そのあたりは今後、力を入れていきたいと思っているところです。

小林 いや、でも本当に、4年前の「岐阜イノベーション工房」が小さなきっかけになって、今こうして壮大なプロジェクトに進化しているのは、素直にとても嬉しいです。

金森 小さな、なんてものではないですよ。
岐阜イノベーション工房に参加したあと、「私にも何かできるかもしれない」と感じることができて、こうしてプロジェクトを立ち上げるに至りました。

あのあと、新規事業関連の書籍を何冊も読んだり、セミナーに参加してみたり、専門のコンサルの方に手伝っていただいたりと、いろいろな手法や考え方をインプットしてきましたが、でも詰まるところは最初に受けた岐阜イノベーション工房の講義に、大切なエッセンスがぎゅっと詰まっていたことを、今になってとても強く感じています。
もう4年も前ですが、あのときの資料は手の届くところに置いてあって、今でも何度も見返しています。

私自身が、岐阜イノベーション工房で変われたように、これからも「Ωプロジェクト」でたくさんの仲間と一緒に、一歩ずつ前進し、新しい価値を創り出していきたいと思います。

小林 今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

 

インタビュー?編集?撮影:後藤麻衣子(株式会社COMULA)