世界を社会生態系システムとして捉え、伝えていく-Community Resilience Research
IAMASの教育の特色でもある「プロジェクト」は、多分野の教員によるチームティーチング、専門的かつ総合的な知識と技術が習得できる独自のカリキュラムとして位置づけられています。インタビューを通じて、プロジェクトにおけるテーマ設定、その背景にある研究領域および文脈に加え、実際に専門の異なる教員や学生間の協働がどのように行われ、そこからどのような成果を期待しているのかを各教員が語ります。
金山智子教授、小林孝浩教授、吉田茂樹教授
- プロジェクトのテーマと背景について聞かせてください。
金山智子(以下金山) 人新世(Anthropocene)という地質時代が提唱されていますが、これは産業革命などにより、小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するレベルの環境変化がもたらされていることを表しています。まさに人類にとっての大きな変革点と言えますが、それに対するアプローチとして、極めて小さな地域から考えていくという発想のプロジェクトです。私自身は社会科学系で、吉田さんと小林孝浩さんは工学系ですが、アートやデザインなど所属する学生たちのバックグラウンドも含めて、あえて言うならば、多様な領域が合わさっているトランスディシプリナリーな学問体系を意識しています。
- 前身として「根尾コ?クリエイション」(2015-19年)があり、「Community Resilience Research」(2020年-)では、新たに「社会生態系システム」というテーマが見えてきたように思います。
金山 根尾コ?クリエイション(ねおこ)では、根尾を一事例として捉えた時に、例えば少子高齢化や産業衰退など、中山間部に見られる様々な問題がある一方で、千年の歴史があり、500年も続いている能?狂言があるなど、豊かな文化資産がある地域でもありました。そこにデザイナーやアーティストなどクリエイティブな人たちが入っていくことで、地域の資産を活かした新しい表現を創れるのではないかというのが、根尾コ?クリエイションの最初の目的でした。新しい表現の創造という面では成果はありましたが、3年経った頃から、何か違う感じがしてきたんですね。私たちが地域に入り新しい何かを作ったことは評価されるんですが、実際には、地元の人たちの暮らしの中にすごいと思うことがもっとあるわけです。例えば、吉田さんを中心に調査しているのが、山奥の渓流や湧水を自分たちの水源として、そこから山の尾根や森の中に長い長いパイプを敷設し、集落まで引き、取水口や配水パイプを敷設して、各家に分配するシステムです。これを長い間当番制や有志によって管理?補修しながら使い続けています。シンプルですが、これをずっと維持しているって相当なことで、それは私たちの想像をはるかに超えるスケール感というか。こういった時間のスケールも含めて「これすごい!」というものが結構あるんです。こういった観察から考えていくと、コミュニティが、衰退しながらも、どこかでずっと踏ん張って頑張っているのは、そういったものがあるからだと思えてきたんです。もしかしたらそこにレジリエンスというものがあるのではないかと感じ、むしろコミュニティのレジリエンスという点から問題を見ていくことが必要なのではないかと思ったのが4年目くらいでした。
レジリエンス思考というのは、ブライアン?ウォーカーの『レジリエンス思考――変わりゆく環境と生きる』(みすず書房、2020年)に依拠しています。この本では、レジリエンス(復元力)を、社会生態系システムとして捉えています。生態系は普通は自然しか対象にしていませんが、人と自然が繋がってひとつのシステムを作っていると考えることが、社会生態系システムです。これからの持続可能な社会には、レジリエンス能力のある社会生態系システムが必要だと考えて、「Community Resilience Research(CRR)」では、それを明確な目的にしました。
吉田茂樹 以前のプロジェクト(根尾コ?クリエイション)の段階から、技術的?工学的な視点で、特にインフラ系に興味をもって見ています。根尾という地域にどんな技術が入ってきて、それをどのように使いこなしているのかを観察してきて、最近は太陽光を含めた発電の方に調査を広げています。電気に関して言うと、実は根尾のずっと山奥のほとんど人が住んでいないようなところにも、電線は通っているんですね。「これはどのようにメンテナンスしているんだろう」とか、「そもそも最初の頃どのように敷設したんだろう」という関心に加え、そこに人が住んでいる、いないに関わらず、電気だけはまだ維持されているという技術や維持管理との関わりに興味を持っています。例えば、住民はいなくても、神社の保守は続いており、年に2、3回お祭りが行われ、そこに裸電球が灯っているということがあります。そういう暮らし方にどう技術が絡んでいるのかという視点でずっと見ている感じですね。
小林孝浩 これまでに実家の農地活用を中心に実践的な取り組みをしてきたのですが、プロジェクトではこれを発展させる形で関わってきていたように思います。例えば「ねおこ」の頃には、害獣防止の柵を畑で作ったり、自作の軽トラハウスを披露したりしました。一方で「害獣戯画」のプラットフォームを製作したり、水源周辺の地形がわかるような模型を作ったりもしましたね。これらは自身の専門性が表現に生かされるという良い経験になりました。CRRになってからは特に、暮らしの中にある生きるための手法に着目しています。例えば野草の利用方法を知り実践してみることで、どこでも見かける雑草が有益な資源に感じられるようになりました。空き家の解体現場では、解体ゴミの追跡調査が、自身の畑で使う木質堆肥の流通経路調査へと発展し、身近な循環に接続できました。関心の一つに「大量消費」や「技術の急速な進歩」に対する問題意識もあり、根尾でのフィールドワークは科学文明との距離感を考えるよい機会にもなっています。
- 学生はどのように関わっているのでしょうか?
金山 フィールドワークが中心ですが、基本的に教員から「これを見なさい」という指導はしません。最初は何をどのように見ていいかわからない学生たちが、繰り返し見ていくうちに何か気になるものを見つけます。モノでも、動物でも、誰かの言葉でもいいのですが、基本的にはそこをきっかけとして、自ら調べながらフィールドワークを重ねていくと、いろんな繋がりが見えてくるんですね。それは、場合によっては10年、20年のスパンではなく、100年前に繋がっちゃったみたいなケースもあり、それを紐解いていく力が模索しながら身についていくように思います。今年は、空き家の解体現場に遭遇しました。空き家はわざわざ壊さず自然に朽ちるのを待つことが多い中で、珍しく綺麗に壊していたので、観察させてもらいました。学生も、解体作業をやらせてもらいながら、それがどこでどう分解されていくかを追跡したり、杉を植えさせた昔の自治体の問題や産業構造、現代のエネルギー問題にまで調査は発展しました。学生や教員が各自興味を発展させながら、多様なアクターがどのように、なぜ繋がっているのかを調べていきます。
研究的視点として、科学に過度に依存した社会に対し、ブルーノ?ラトゥールらが提示した「アクターネットワーク理論」が挙げられます。これは、物事は全て同じような秩序で成り立っているのではなく、それぞれ違う繋がりがあり、それが連綿と続いているという考え方です。社会生態系システムには、3つの重要な概念がありますが、その1つが人と自然が繋がってひとつの大きな生態系システムを作っており、誰もが何らかの役割を持つアクターだという考え方です。人間だけではなくて、例えば、鹿や猿などの害獣、石や道具など非人間的なものを含めてアクターと捉え、多様なつながりがあるという捉え方で、これはアクターネットワーク理論と同じ立場をとっています。さらにいうと、その繋がりは非常に複雑で、その先に何が起こるかを予測することは難しく、ゆえに、何か起きた時にそれに柔軟に対応しながら、人間と自然が繋がって何とか安定していくようなシステムが重要であり、そこに必要なのがまさにレリジエンス力であるという考え方です。そういう目線でものを見ようとする力は、ポスト消費社会を考える上でも必要なアプローチだと思います。同じ社会生態系の研究の中でも、表現の文脈でやれるのも、今日的な意義があると感じています。総合地球環境学研究所の山極壽一さんたちも、学者たちは問題の指摘はできるが、それをうまく伝えていく、あるいは伝承や継承していくところで、アートとのコラボは欠かせないということを議論されています。そういう意味で、いかにそれを外に向かって伝えていくかという点においてアートの役割は非常に大きいと思っており、このプロジェクトでもアウトプットとして意識的にやっています。観察を通して社会生態系のシステムとしてものを捉えていくだけでなく、そこから見えてきたものを基にプロジェクトメンバーがそれぞれの表現を通して伝えていく点が今日的に新しいと考えています。
聞き手:伊村靖子
※『IAMAS Interviews 02』のプロジェクトインタビュー2021に掲載された内容を転載しています。